4番目・・・の仕事?!
今日は毎週恒例、草野球の試合。
先週はB-1というリーグ戦でしたが、今日はSBCというリーグ戦。
3回まではとんとん拍子で進む試合。
(お互い凡打の山というべきか、投手戦というべきか・・・)
4回に、このブログでも良く出てくる、A君がライトの柵越え本塁打で2点先制!
久しぶりに綺麗な本塁打を見ました〜、すげ〜。
その後、1点追加して、3-0。
しかし、相手の攻撃。守備の乱れもあり、4点を取られ逆転されました〜
それでも、めげない我がチーム。
すかさず1点を取って同点
なかなか強いんです、我がチームは(笑)
そのまま、同点で延長戦へ突入。
延長戦に入ってすぐ、うちの攻撃は1番からの好打順。
2人が出て、ワンアウト、ランナー2、3塁で、4番の僕。
普通、チームの4番と言うと一番打てるバッターが立つのですが、
うちの場合は“4番目”の打者でしかないのですが・・・。
僕も、前3打席が凡退しているし・・・。
ココはなんとしても打ちたいなぁ〜と思っていました。
で、どうなったかと言うと、
三塁線を破るツーベース!ヤッター
2点追加!更に2点を追加し、最後はK君がきっちりと抑えて
結局8-4で劇的な勝利!
これで我がチームは練習試合も含めて、5勝2敗。
さぁ、シーズン中、どれだけ勝ち星を挙げられるか!
先週はB-1というリーグ戦でしたが、今日はSBCというリーグ戦。
3回まではとんとん拍子で進む試合。
(お互い凡打の山というべきか、投手戦というべきか・・・)
4回に、このブログでも良く出てくる、A君がライトの柵越え本塁打で2点先制!
久しぶりに綺麗な本塁打を見ました〜、すげ〜。
その後、1点追加して、3-0。
しかし、相手の攻撃。守備の乱れもあり、4点を取られ逆転されました〜

それでも、めげない我がチーム。
すかさず1点を取って同点

なかなか強いんです、我がチームは(笑)
そのまま、同点で延長戦へ突入。
延長戦に入ってすぐ、うちの攻撃は1番からの好打順。
2人が出て、ワンアウト、ランナー2、3塁で、4番の僕。
普通、チームの4番と言うと一番打てるバッターが立つのですが、
うちの場合は“4番目”の打者でしかないのですが・・・。
僕も、前3打席が凡退しているし・・・。
ココはなんとしても打ちたいなぁ〜と思っていました。
で、どうなったかと言うと、
三塁線を破るツーベース!ヤッター

2点追加!更に2点を追加し、最後はK君がきっちりと抑えて
結局8-4で劇的な勝利!
これで我がチームは練習試合も含めて、5勝2敗。
さぁ、シーズン中、どれだけ勝ち星を挙げられるか!
からから
僕のお友達で社労士のOさんとI さんと仕事の打ち合わせをした後、
西11丁目にある沖縄料理店「からから」で食事。
OさんとI さんは車なので、お酒は飲めないのですが、僕は遠慮なく飲みました!
石垣牛のたたき、海ぶどう、島らっきょうのてんぷら、もずくのてんぷら、
ぐるくんのから揚げ、沖縄そばなどなど・・・。
沖縄ならではの料理を堪能しつつ、仕事の話、北海道をどうするかなどを
話していました。
あっという間の2時間。濃い2時間でした。
日本No.1の・・・早すぎる死
ショックなニュースを聞いた。
プロレスリング・ノアの社長で、プロレスラーの三沢光晴さんが、
46歳の若さで帰らぬ人となった。
僕は、初代タイガーマスクに魅せられ、プロレスが好きになった。
高校、浪人、大学時代は、よく見ていた。
その中でも、三沢光晴という選手は大好きな選手だった。
三沢選手は北海道夕張生まれ、埼玉県越谷市に育った。
レスリングの名門である足利工業大学附属高等学校に入学。
3年時に世界ジュニア選手権出場、国体で優勝を果たす。
その後、全日本プロレスに入門。
1984年には2代目タイガーマスクとなり、大活躍した。
人気・実力などにおいて新日本プロレスの蝶野正洋、全日本プロレスの武藤敬司と共に、
日本の男子プロレス界の頂点に君臨する。
いくら打たれても投げられても立ち上がってくるところから「ゾンビ三沢」「受け身の天才」
「アンタッチャブル」と称され、若い頃には端整な顔立ちから
「エルボーの貴公子」とも呼ばれたが、一方で全日本プロレス時代は
しばしば満身創痍の状態でリングに上がりつづけていたことから、
「ガラスのエース」とも呼ばれていた。
ボロボロになりながらも、苦痛な顔をしながらも、
あきらめず立ち向かっていく三沢が好きだった。
6月13日 、広島での試合中、齋藤彰俊のバックドロップを受けて頭部を強打し、
意識不明となり心肺停止状態に陥った。
リング上でノア選手、関係者らによる懸命の救急蘇生措置が施された後、
救急車で病院に搬送されたが、午後10時10分に死亡が確認されたのだという。
僕にプロレスの楽しさを教えてくれた三沢選手、今までは多くの試合をし、
苦しい思いもしたと思います。怪我も辛かったと思います。
今は、今は、ゆっくりと休んでください。
心からご冥福をお祈りいたします。
プロレスリング・ノアの社長で、プロレスラーの三沢光晴さんが、
46歳の若さで帰らぬ人となった。
僕は、初代タイガーマスクに魅せられ、プロレスが好きになった。
高校、浪人、大学時代は、よく見ていた。
その中でも、三沢光晴という選手は大好きな選手だった。
三沢選手は北海道夕張生まれ、埼玉県越谷市に育った。
レスリングの名門である足利工業大学附属高等学校に入学。
3年時に世界ジュニア選手権出場、国体で優勝を果たす。
その後、全日本プロレスに入門。
1984年には2代目タイガーマスクとなり、大活躍した。
人気・実力などにおいて新日本プロレスの蝶野正洋、全日本プロレスの武藤敬司と共に、
日本の男子プロレス界の頂点に君臨する。
いくら打たれても投げられても立ち上がってくるところから「ゾンビ三沢」「受け身の天才」
「アンタッチャブル」と称され、若い頃には端整な顔立ちから
「エルボーの貴公子」とも呼ばれたが、一方で全日本プロレス時代は
しばしば満身創痍の状態でリングに上がりつづけていたことから、
「ガラスのエース」とも呼ばれていた。
ボロボロになりながらも、苦痛な顔をしながらも、
あきらめず立ち向かっていく三沢が好きだった。
6月13日 、広島での試合中、齋藤彰俊のバックドロップを受けて頭部を強打し、
意識不明となり心肺停止状態に陥った。
リング上でノア選手、関係者らによる懸命の救急蘇生措置が施された後、
救急車で病院に搬送されたが、午後10時10分に死亡が確認されたのだという。
僕にプロレスの楽しさを教えてくれた三沢選手、今までは多くの試合をし、
苦しい思いもしたと思います。怪我も辛かったと思います。
今は、今は、ゆっくりと休んでください。
心からご冥福をお祈りいたします。
ようやく、今季初!
今日は僕が所属している草野球チーム「PG」の公式戦でした。
うちのチームは2つのリーグ戦に参戦しており、そのうちの一つB-1リーグの初戦でした。
その前に・・・、5月から、練習試合をたくさんしてきたのですが、
今の今までヒットが一本出ない・・・
16打席立って、11打数0安打。ヤバイ!
打てなくて、焦ってまた打てない。三振が多くなってきている。
野球をやっていて、あまり三振はしない方なんですが・・・。
それを心配してか、先週の試合の後、メンバーから特打をしてもらいました。
そして、今日、ようやく出ました。今季初ヒット。
センター前に綺麗なヒットが出ました。それも打点付き。
ようやくほっとしました。






